初めて、彼女の存在を知ったのは、野瀬先生の教え子となった埼玉大学1年生の時、1992年、バルセロナ五輪代表を決める試合で、田村(現・谷)亮子と初対戦した試合でした。
足技で先に崩し、ポイントを奪ったものの、最後は判定で破れてしまい、代表の座は予定通り(?)田村選手に。
確か、小内刈りが「効果」か「有効」かという微妙な判断となった結果でした。
そして、この日、長井選手と田村選手の10度にわたる対戦が始まりました。
実際、お会いしたのは、その直後で、そこから、私も「長い、長~井」応援人生に入りました。
10度にわたる田村亮子との公式戦は全て決勝対決で、いずれも判定で敗れましたが、一本負けしたことはありません。
田村選手が出場する五輪や世界選手権には出場できませんでしたが、出場しないフランス国際やアジア大会では優勝しました。
勝負の世界に「たら・れば は無い」と言いますが、ファンとしては、もし最初の対戦が勝ちと認められれば、大きな流れが変わっていたのではないかといった意味で、幻の五輪代表と書きました。
そして、世界の強豪にも勝ちながら、世界のトップに立てず、階級変更を考えるも、最終的に、この階級にこだわり、この階級で引退まで戦い続けました。
言葉では説明しにくいですが、「こんな生き様もあるんだな。」というのが伝わるよう、彼女について書かれたサイトを御紹介しておきます。
⇒ 『Atsuko Nagai』
同じ武道をやる者として皆さんには是非、特に、何でも上手くいかないと、すぐ諦めてしまう方には絶対に、読んで、何かを感じてもらえればと思います。
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